コロナ感染急増 専門家の失礼な言い方 『ワク〇ン2回接種ではまるで効果なし』は聞き捨てならない

 感染者数連日の過去最高更新「これだけ〇クチン打ってるのに、効いてない証拠」とワクチン懐疑派は冷めて見ています。
というか、「ワクチン打ってるからこんなに増えたんだろうに」とさえ言われます。
ワクチンが効いていたら、確かにこんな過去最高の人数などになるわけがないと素人的には思います。まあ、エライ先生方や役所が言うのですから、正しいのでしょうが、感染には効かないけど重症化は防ぐ4回目のワクチンを打つのがなぜか感染対策だそうです。

 報道ステーションで国際医療福祉大学の松本教授とかいう方は、『2回のみ接種者は無防備状態で、去年打ったままで抗体値が今は下がり打ってないのも同然』的な言い方をされています。2回目あたりでやめた人を勧奨して接種数を増やしワクチンを余らせたくないのか、テレビに出る専門家の多くが『2回では効果なし』という文言を多用しています。

 ハッキリ言って、それが正しいか正しくないか別にして、1年前の言動を忘れた失礼な言い方です。忘れられがちですが、当初は専門家誰もが新しいメッセンジャーRNAタイプのワクチンは安全で効果も高く持続するので打て打てと喧伝していました。1回目に連続して2回目を打てば十分な免疫を持てると言われたから、苦しい副反応に耐え、忙しい時間も裂き仕事を休んだりしながら2回のワクチン接種をした方もおられます。3回目を受けられないにもさまざまな事情があるのです。

 
 2回では無防備状態!!まるで効かない、意味はないと前言を訂正するなら、もう少し丁寧な言いまわしがあると思います。こんな後追いで、請け負った情報だけただ伝える、医療現場の忙しさの実態もワクチン接種者の苦しみ悩みもわかっているはずもない人間の、どこが専門家なのかと思います。
 たとえその当時、分からなかって、あとから判明したことがあったとしても、以前の言い回しをまず謝り、説明するのが公に出るぐらいの人なら人として当たり前のことです。

 誰でも風邪をひいて重症化するリスクはあります。それを怖がっていたら社会が成り立たないです。『軽症が多いというのに20代でも誰が重症化するかわからない』『重症化を避けるため、接種すべきだ』そんな程度のことはテレビで高いギャラをもらって言い放つ価値もない素人レベルの憶測からの勧奨です。

 しかも今、4回目打てば秋の5回目にはオミクロン対応の新ワクチンとのインターバルが短くなります。もう打つのかどうかはわかりませんが。

 こんな嘘っぱちというか、矛盾だらけがまかり通る上、何人かの影響力の強い有名インフルエンサーはワクチン推奨派が抑え込んでいます。さすがにこれはわかります。普段の小気味よい論理だても、正しい理由付けもなく、ただ『打たない選択肢はない』とまともな議論さえ避けて、ワクチン懐疑派を一方的にこき下ろしています。ワクチンで死んだ人、後遺症に苦しむ人を確率的に少ないからと無視してよいのでしょうか? 自分は再生回数何万回で儲けているからいいにしても、どう考えてもアレルギー体質など、人それぞれワクチンに合う人合わない人はいます。少なくとも『選択肢はある』はずです。こんなインフルエンサーの言を信じて、命の危険に会えば、いまのところ国も何の補償もしてくれていません。

 ワクチン接種後の死亡者も報告されているだけで1700名とされ、実際にはその10倍20倍と怪死していると言われ、さらにその背後にその10倍が後遺症に悩んでいると言われます。一部の町医者さんや弁護士さんもワクチンでの死者や後遺症が増えていることには声を上げています。こういった話もまんざら陰謀論とも言い切れなくなりつつあるのは、先ほどの専門家たちが、丁寧な話をしないからです。責任は重いです。

 ワクチン由来の死者には国から賠償金が4000万円払われますが一人も払われていません。仮に10人いたとして4億、50人なら20億の税金が動きます。1000人も1万人もワクチンで死んだりしていたら、国葬に3億とかいうのを議論するレベルを超えた、経済としても人の命としても大きすぎる問題です。

沖縄のこと ウクライナの戦いを賛否する前に

 今年は沖縄本土復帰50周年ということで、式典もあり、テレビでもドキュメンタリーはじめ題材を含んだドラマなどが放映されている。戦後70年以上たち、沖縄戦をはじめその歴史を検証することは、現在の国際情勢を鑑みても有意義なことだと思います。

 とはいえ私は残念ながら、沖縄にそれほど詳しくはないです。広島や東北には住んだことがあり、北海道も頻繁に訪れ友人も多いのですが、沖縄は訪問回数も知人も少なく、その面では多くを語る資格がありません。

 何人か知る沖縄出身の人は、苗字で何となく感じ、よく聞いてみないと本土に親や祖父母が出てきているだけで、標準語も垢抜けして他の出身県の人と変わりません。むしろ九州人や関西人の方がコテコテの方言です。↑(ここ重要)

 しかし、第二次世界大戦を語る上では、広島や長崎の原爆投下とその後の本土決戦か無条件降伏かなどの終戦までの道のりに沖縄は外せないところです。そして、やはりウクライナで想起された激しい地上戦という意味では日本国内では沖縄が唯一最大規模のものです。

 たまたま沖縄が舞台になったNHKの朝ドラで、比較的軽いラブコメ要素かの前半から、やはり戦争の問題が取り上げられる回に来て、戦争を知る世代の語りたがらない複雑な思いが描かれていました。同じような沖縄の人の取材の難しさは、別の書籍でも見ました。

 とにかく現在にいたる基地問題も含め、沖縄の歴史的問題は複雑です。多くの政治家や報道関係も実際に現地に行き長い時間をかけ酒でも酌みかい、初めてホンネを引き出せるところが多いようです。以下のことも多くは伝聞から、推測的考察です。

 沖縄の基地問題も確かに構造や人々の心情は複雑で、県民の中にもいろいろと立場も別れるわけです。旧来の自民党政権を打破し日の出の勢いだった民主党鳩山政権は「普天間基地を最低でも県外」と言ってしまって、結局実現できないばかりか、アメリカ側から相当の圧力をかけられたと想像のつく迷走、自滅したのは比較的記憶されています。
 沖縄の人たちの中には基地依存の方もおり、もともと基地移転に消極的ながら反対の立場もいます。民主党や社民党が考えたよりは簡単ではありません。この点は自民党で長く沖縄に関わった政治家の一部からは、何か仕掛けたかもしれませんが、稚拙な進め方にはせせら笑いしながら高見の見物だったでしょう。

 歴史を調べれば、小さいながら独立王国のようだった琉球王朝だった沖縄は明治に遅れて日本になりました。真面目な沖縄の人は日本国民になろうと、学校では沖縄の言葉をしゃべると札をつけて外に立たせるほど、純粋に過剰なまでにキレイな標準語を学んだといいます。これは日本の文部省の強制ではなく、自主的に沖縄県民は日本国民に認められようと努力したと想像されます。

 そして沖縄の人の悲劇は、その真面目さで日本軍とともに米軍と必死で戦い、女学生までひめゆり部隊など学徒隊となってさらに被害が拡大しました。日本軍の中心は首里城にはとどまらず玉砕することなく南部撤退を行い、軍は住民を守れず住民だけの徹底抗戦に追い込まれ悲劇は大きくなりました。
 広島、長崎は米軍が勝手に選んだ理不尽ですが、沖縄の人口の4分の1を失った地上戦は、沖縄にとって自ら追い込まれ日本政府に騙されたような悲劇なのです。
 日本全体から見れば本土決戦の決断がなくなったことは良かったことでしたが、沖縄の人たちは我々に続いて本土でも地上戦をやるものと信じていました。そのために必死になり善戦し粘って日本国のために戦ったのです。ところが沖縄だけが捨て石のように、本土決戦は行われなった。沖縄県民の中には、またも日本政府に、軍に裏切られた、姑息で卑怯な本土人との思いを感じられた方も多くいたのです。
 沖縄の人が、政府に複雑な思い、自衛隊に複雑な思いをするのもそういう歴史があるからなのです。
 単純に左翼にそそのかされているとネトウヨ系が罵るのは簡単で、一部は正しい時もありますが、その根は暗く深いものです。

 そして、ウクライナの戦いを賛否する前にもう一度、日本の、沖縄の歴史を振りかえって欲しいところです。

国葬、川柳 増長させられる分断

 ニュースによると、安倍元総理大臣の「国葬」に反対する市民グループが、実施しないよう予算の執行などの中止を求める仮処分を東京地方裁判所に申し立てました。「安倍氏については森友・加計学園や桜を見る会の問題など数々の疑惑が取り沙汰され、国民の評価が分かれている。『国葬』を行い、国民を強制的に参加させることは憲法で定められた思想・良心の自由に違反する」と主張して「国葬」に関する閣議決定と予算の執行をしないよう求めています。政府側官房長官は「今後、司法の場で取り扱われることであり、政府としてコメントは差し控えたい。いずれにしても、国葬儀は儀式として実施されるものであり、国民一人ひとりに政治的評価や喪に服することを求めるものではない」と述べました。

 国会の決議が必要なら、与党多数の現状ではすぐ決まることです。先の選挙で勝利し、信任された岸田首相が背景はいざ知らず記者会見で明言したことなので、それでいいのではと思います。

 何名かの左翼側の論客は安倍さんの功罪の財の部分ばかり強調しますが、おそらくどんな総理大臣も功罪はあったはずです。

 これも左右を問わない何人かの方が呟いているようにはっきりしたルール、法律がないことが大きな問題です。総理がやや唐突に発言したことだけで通ると思ったのも、こういう仮処分とかいう人が出るかもしれないという時代に対しては、甘かったのです。法律がない以上めんどくさいですが『私は国葬にすべきだと思うので、有識者の委員会を作って検討し国会で承認してもらう』が正解なのかもしれません。間違っても『私は税金で国葬をすべきでないとか。じゃあ安倍さんより好きだった小泉さんが死んだらどうする』とか、分断を煽るコメントなどを報道すべきでもないと思います。税金を使うからと何でもかんでも議論して裁判していいというものではないです。それこそ、粛々と決めていけば良いことです。
 

 朝日新聞が川柳のコーナーで安倍元首相を茶化し愚弄したような内容の特集だと組んだというのも大きな問題になっています。権威ある大新聞がすべきではないという声も上がっています。しかしもう新聞メディアが廃れて普段そんな欄を誰が見ているのかというところを、ワイドショーがデカデカ繰り返し採り上げて、コメンテーターが賛否意見を出して盛り上げます。

 こんなことをするマスコミこそ、安倍さんを愚弄しています。こぞって無視すればいいだけで何の問題にもなりません。そうやって注目して取り上げられることで、いわゆる炎上商法のようなかたちで、本来の紙面での情報伝達の役割はなくとも、政治利用されることで朝日などは延命していまいます。ネットの時代に紙の新聞など高齢者しか読んでいないのに、朝日の本来誰もスルーするようなつまらないコーナーが、全国に知れ渡り国民が左と右の分断されたような議論になる。

 昔から、朝日や毎日の川柳や漫画などは、記事以前に反体制なものは当たり前でした。そんなものをこうしなければと、シャカリキに力を入れ右側までこぞって取り上げること自体がおかしいのです。

 まったくつまらない議論です。

入院雑感4 生かされた生命 まだコロナ

 3週間かかり、ようやく退院、自宅療養に切り替わります。

 最初、肺のCT画像を見て左肺の3分の1ぐらい真っ白なのには驚き、ガンならもう助からないステージわやと思いました。幸い範囲は広いものの、生命に関わるものではなく、その後外科手術は難しく、点滴などでの内科治療となりました。

 この間、本当にいろいろ教えられ感じることもありました。

 60歳過ぎの著名人の訃報もよく聞かれる中、まだもう少し、生きていいよということでしょう。

 すれ違った人たちも70後半や90過ぎても、いろんなトコを手術しながらも、タフにしたたかに生きている方がおられます。

 かと言って反面教師ではないですが、老醜、老害で回りに迷惑をかける方もおられます。

 サービスや連絡面で病院側に不満を言ったこともありますが、基本的に看護の現場に携わる人達は、ストレスの多い大変な仕事、激務を日常的にこなしてると思います。

 コロナ禍は、以前から指摘のように医療現場に多大な負担をかけました。また、第7波が騒がれ、退院直前にも院内の患者さんに陽性者が出て、混乱と大幅な行動制限がしかれました。

 祇園祭山鉾の人出も恨みがましく、見ておられる方もいます。実際に第7派のBA5は感染力が強く感染者数が圧倒的に多いため、従来の対応では難しでしょう。重症はおろか、症状が出る人も少ないのでひたすら間口を広げ、ただの風邪やインフルエンザ同様、一般のかかりつけ医、一般外来で診察できるように仕組みを変えるしかないのです。

 指定感染症2類を外す、外すのは感染者が減ったからではなく、感染者が増えすぎ一般の風邪並みのよくある病になったからです。

 岸田総理も感染者が減ったタイミングで2類を外したいと図っていたなら、間違いです。毒性が弱まり感染者が激増した今のタイミングでいいのです。趣旨が分かってないと減ったタイミングでも、どうせ次の波が来て増えて非難されます。

こんなに感染者が増え、今さらマスクや効かないワクチンとか、対策ではないのです。医療現場は他の病気の患者さんで、それなり手一杯なのです。コロナなんかに構う暇ない、制限などいらない、ウザいのです。医師会の偉い人が看護師や看護助手をどんどん連れてこれるわけではないのです。彼らはテレビに出て儲けず、自分の病院の現場をもっと見ないといけません。

 医師会の偉い人は、苦しむ患者さんに、すぐナースコールを呼べばいいですと言っているつもりなのでしょう。ただの風邪のような莫大な数のコロナに関わらせると、生命に関わる人のナースコールの返答が遅くなり、できなくなるのです。

憲法改正完全版2  核共有は有効か?地政学?

 長くなるから、たくさんの右翼の論客の提言を読んでもその評価等は主なものとする。玉石混交で、なるほどと思わせるものもあれば、ひどい思い込みだけのものもあります。

【かみ合わない議論】

 総じて、右翼と左翼はかみ合ってない、まともなディベートの土俵に上がってない。思想が違うから当たり前と言われるかもしれないが、仮にも政治家や批評家が、まともな議論をしていない。ネット上だけならいざ知らず、国会や公の場、こういった書籍でも、幼稚な喧嘩、一方通行なのです。

 かみ合わないことも多すぎる。そもそもディベートの前提が大きく違うところを、みんなこうだろうと思い込み、相手や一般に対する想像力が足りない。

 たとえば、左翼は元々の自分の受けたいわゆる自虐史的歴史教育を当たり前と思っている。日本はアジア諸国に一方的に狂信的侵略戦争を仕掛けたことが左翼では前提になっている。右翼側にとっては、南京大虐殺など、そんなのは少し考えたらわかるウソだとわかるとおもっている。それでは、靖国神社参拝問題、慰安婦等の問題など、歩み寄れるわけがない。

 自衛隊が違憲か、いくつかの問題で議論がストップしてしまいます。そもそも存在が曖昧で否定されるものではないことは、さすがに共産党でさえ分かっている。憲法改正の前にさえ、自衛隊法などでできることは可能なのにやれていないと言われる。これだけ安定多数を持った与党なら、迅速にやって欲しいところです。

 私はアメリカに作られた現行憲法は状況に応じ改正すべし派です。自虐史観は間違っていると思います。教科書の改定や現総理や閣僚の靖国神社参拝も何ら問題なくまして他国にどうこう言われる筋のものではないと思っています。

 そういう面では、保守。愛国かもしれませんが。戦争、防衛費拡充や、同盟強化、核共有については右翼の論客の提言の多くに疑問はあります。

【親米や自主独立か】

 およそ、右翼も親米と、自主独立派に別れ、お互い都合よく利用してる場合もあります。親米と自主は実は明確に違います。保守派、右翼の多くもアメリカに洗脳された親米がおり、逆に親中も保守の中にいます。

 右翼の論説は思った以上に、自主独立の提言、特に憲法に関しても多かったです。理想はそうでも現実にはアメリカの傘に入りたいという軟弱さも垣間見えます。安保、核共有は戦略性もありますが、自主独立とは相反する矛盾、ジレンマもあります。

 9条、戦争、核はロジック、ゲーム理論のようにもなってしまいます。戦争の現実、ウクライナの惨状の報道が伝わり、数が減ってきた戦争経験者の伝えるものから、どう感じ考えていくかが右翼と左翼で別れてしまうようです。

 【それでも戦争は回避すべき】

 私は、戦争に関していえばあらゆる可能性を考え、国体を保ちながら戦争を回避すべきだと考えます。それは理想や理論ではなく、現実を見つめ泥臭くても妥協点を探るべきです。

 街や家も倒壊し、劣勢の軍隊でもあくまでも抵抗しつづけるウクライナの徹底抗戦決断を称賛し、一方的な侵略に屈せず国の為に戦う姿とはこういうのが理想のように右翼は好事例、美学として主張されます。また櫻井よしこはウクライナが旧ソ連の核を保有していれば抑止力になったという核共有のロジックです。

 このあたりにはさすがに大いに違和感どころか反対に思います。

 兵士や市民、街の多くを犠牲にする前にまず停戦を考えるべきです。国のトップは国体を維持するこが責務です。市民の多くが大統領の決断によって犠牲になっている時点で、国体の一部が体を成していないので、大統領失格です。

 確かに武器をすて、戦争を放棄して占領を許した時点でもっと酷い国の運命が待っている可能性は自覚しないといけません。

 日本がアメリカに負け占領されると知った時、男子は睾丸を取られ、婦女子は皆暴行されるとかの噂が流れました。結果、僥倖のように、天皇制は保たれ、アメリカは概ね紳士的に日本の民主かを進め軍事的配下に入れつつ日本は復興し、経済成長につながりました。

 この苦い敗戦と奇跡の復興は、アメリカ信仰と他力本願の平和主義、戦争忌避を日本人に植えつけたとは思います。

 おそらく敗戦は、現体制や兵士にとっては全てを失う恐怖であり屈辱です。もちろん停戦、降伏にどんな状況かはケースによります。しかし、市民にとっては戦争で大義名分で死ぬのも占領されてその後苦しむのも天秤にかければ同じか、生きているだけマシかかです。

【核の間違ったロジック】

 核についていえば、日本へ原爆投下以降70年以上、戦争では使用されたことのない禁じ手の兵器です。その保有国が増えれば抑止力が増すというのは、今さら危険な論理です。

 平和憲法に抑止力はないと、右翼は左翼を鼻で笑いますが、櫻井の言を借りれば、全ての国が核保有か共有すれば抑止力が高まり戦争は無くなるのでしょうか。実際には、いろんな意味で核はオワコンで、危険でお金もかかり風評も悪いだけで残念ながら抑止力というものは弱まっています。

 北朝鮮は、狂ったならず者国家のように思われています。しかし、そんな国でさえ先制攻撃で核を使うとか、追い込まれて核を使う状況というのは実際にはありえないですし、あったとして攻撃された国が保有か共有で核を使えるから抑止、殲滅できるか、可否以前にこの時点で人類の終末と言われる核戦争になっています。さすがに、自暴自棄やそな応酬で、核を使うほど人類は愚かではありません。

 櫻井よしこが核共有の論拠としている、地政学的という核保有国の地図を上にのっけてます。

 戦争好き右翼は、地政学とか言い出す人がよくいます。細かい歴史を勉強しないで、大雑把に地図を見て判断する方がネットにもよくいます。地政学というより、地図のイメージだけの短絡思想で、「ロシアとは戦争もして相性が悪く地政学的にも日本の隣国で悪い国なので経済制裁しないといけない」とかびっくりする発想。長年、エネルギー開発や漁業の交渉でやってる人の苦労とか現実が想像できないのでしょうか。

 この櫻井掲載の地図見て、「日本は核保有国に囲まれている怖い、アメリカは遠いからすぐ助けてはくれない。だから舐められないよう防衛費拡充、核共有、核保有だ!」これも違和感です。

 櫻井よしこも中国の脅威、恐れを1章に渡り語っていますが、基本が中露嫌い、結局自主独立といいながら、アメリカ信仰、アメリカ洗脳なのでしょう。 

 【ロシア、中国とどう関わるか】

 ウクライナ問題で、同盟の強化とロシア制裁を強く主張する側に、ロシアの背後に中国がいるからとの中露嫌いが見えます。

 ロシアは軍備も資源もほぼ自前で用立てるほど豊富で、かつての日本や北朝鮮ほど経済制裁が有効ではありません。その国を追い詰め、中国とロシアをグループとして敵対するのは得策ではありません。櫻井よしこ自身が分析しているように、「世界最大の超大国」です。中国嫌いの人は現実的数値でGDPは抜かれたけど、日本やアメリカのが豊かで優れているという幻想にとりつかれています。まして中国とロシアがタッグを組めば最強です。インドやプラジルはじめ中東やアフリカ諸国もなびいている現状で、世界の警察を降り、ベトナム以降支援国は連戦連敗で中東にも嫌われるアメリカが欧州と組んでも太刀打ちなどのスケールではないです。

 地政学?で考えれば、中国とロシアは国境を接していて従来からは仲が悪い。中国とインドも国境を接しているので、揉め事が多く、逆に国境問題のないインドとロシアは経済的に結びつきが強いのです。日本はできる限り、ロシアと中国を追い込まず、かつ分断を考えた方がいいのです。妥協点は見出しつつ、経済連携など政治を絡めて結びつくのに越したことはありません。一党独裁でカントリーリスクがあるように思われますが、アメリカの方が2大政党制で、政権が変わると経済や行政のやり方が急変し、人も替わり取り付く島もない時が多いそうです。

 親中派とひと括りに、国賊やスパイのように揶揄されますが、要は親米派と同じです。特に中国が強大になれば、その存在は必要です。台湾有事やチベット、ウイグルの問題

、アジア太平洋戦争以来恨んでいるとか、脅威にされがちですが、中国とはもう経済や観光で深く結びつき依存しています。中国が一方的に、日本を破壊し、皆殺しにしたりすることはありません。

 日本が本当に戦場になるのは、アメリカが何らか戦争を影で誘発して、台湾有事が起こり、米中が火花を散らす代理戦争となった時です。米本土は離れていますが、地図で明らかな通り、戦場は東アジアになります。

 アメリカが戦争誘発というのは、やはり日本の右翼や愛国者をうまく焚きつけ、おそらく今のウクライナ以上に正義のため、聖戦として戦争になるはずです。

【防衛費は適正に】

 防衛費問題では、最近も元大臣や幕僚が、銃弾も少ない、演習の時間も少ないとかいろいろ戦い以前の問題で、予算増額を叫ばれていました。事実が、露見しているなら対敵国への情報漏れとしてもおかしな話ですが、現場のホンネなのかもしれません。ただ、日本の予算というのはどの役所でも増額しても本当に必要なところに適正に下りず、結局こういう現場の声は絶えないような気がします。

 イージス艦に5000億も使うことには、当時ハト派の自民党元幹事長野中広務氏は猛反対で憤っておられました。その他のミサイル迎撃システムにせよ、いかにもスペックは素晴らしくプレゼンに騙されそうな最新兵器でしたが、野中さん曰くの通り、現場で訓練の弾薬にさえ回せないのに、大見得を切っても敵に攻撃対象を与え、なおかつメンテナンス含め莫大な経費がかかるのは事実でした。

 【軍隊はあっても戦争をしない憲法】

 戦争をするために、仮想敵国に対し兵士や組織が常に臨戦態勢でいるということは非常に難しい問題をはらんでいます。自国愛と敵国への憎悪は一触即発を生みやすくなります。まして、兵士たちは戦い、武器屋は武器を作り売るのが仕事、ずっと仕事がなく、褒められることもないと、何らかのきっかけを求めたくなるものでしょう。だから戦争は放棄したものだという憲法は必要なのかもと思います。

憲法改正完全版1  安倍さんの悲願が凶弾の引き金か #月刊Hanada#憲法改正#核共有

 いわゆる保守、コテコテの右寄りの論客陣がズラリですが、読んだのはたまたま私は左右に属さぬ愛国、中道です。6月発行のムックなので、ウクライナ問題を受けての憲法改正の機運をそれぞれが述べ、この機に乗じての平和憲法改正、核共有、防衛費拡充に反対する左寄りを一刀両断にしたい感じの内容です。

 7月に凶弾で倒れた安倍元総理の事件の背景は現時点ではっきりしませんが、私は今年2月の安倍さんのアクティビティが重要な伏線かと思います。

 たまたま私も見てました。2月27日、フジテレビ「日曜報道ザ・プライム」に出演。核共有についてもタブー視せず議論すべきではないかと問題提起されました。保守色の強いフジが受けたのか仕掛けた前後して橋下徹、高市早苗政調会長も出演し賛同を表明しました。これに対して、野党側は反発し、国会で岸田総理に問いただしましたが、総理は憲法と非核三原則の順守を答弁し、核共有の意思はないことを示しかわしました。しかし安倍元総理や、高市政調会長に発言撤回や注意することもなく、曖昧に終わりました。その元総理の発言趣旨がこのムック本に詳しく載ってます。

 その後、安倍元総理はご存知の通り凶弾に倒れ、直後の参院選では自民党が勝ち憲法改正に必要な3分の2を改憲勢力が堅持しました。そして、岸田総理は安倍元総理を秋に国葬で弔うと宣言しました。

 裏の本当の事情や背景などわかりませんが、安倍さんのテレビでの提起は、勇断とも見えますが、元総理としてはやや唐突と言うか違和感を覚えます。陰の党内実力者、キングメーカーとして総理を呼びつけようと、強く要望しようと違和感はないです。ただテレビで表だって提起すれば、世論の観測気球となるにせよ、世間へのインパクトは強すぎます。

 素人的に見て、元総理が表だって口出しすれば現総理はリスペクトはせざるをえないが、内心面白くはないでしょう。あるいは岸田総理かわ全て分かって連携して利用していたかと考えることもできますが、どうも前後の流れからはそうではなさそうです。ウクライナ問題を機会に橋下と高市らの保守派とフジが流れを強くしたかった感が強いです。

 この流れがどうして安倍さんの死につながったかは、わかりませんが、安倍業績称賛と一部その否定の過去報道一色の中、やや忘れかけていた今年のインパクトある提起を思い出させました。

 肝心のムック本の内容、憲法改正、核共有問題は次の回へ

    つづく

小沢一郎時代の終焉  #小沢一郎闘いの50年

 安倍元総理が凶弾に倒れた直後の参院選で、もう一人の大物政治家の時代が終焉を迎えました。

 王国と言われた岩手で支援した候補者が敗れ自民党に32年ぶりの議席を許しました。側近の森裕子議員も新潟で惜敗し、自身は衆議院議員ではありますが前回は屈辱的な比例復活当選であり、80歳を超え、剛腕小沢一郎もさすがにもう政界の中央に戻ることはないでしょう。

 戦後高度経済成長以降、政界の著名な大物としては、国葬として名の上がる安倍晋三、劇場政治で人気を博した小泉純一郎ら総理大臣経験者もいます。

 しかし、総理大臣にはならずおよそ30年あまり、政界の中央で総理をも操ったり、二度政権交代を実現し、権力を操っていた小沢一郎はやはり稀有な存在でした。

 自民党時代は、自らは総理の打診を受けず、総裁候補者を呼びつけたとも言われる実力者で、総理を傀儡しました。そして、細川政権と鳩山政権で二度に渡って自民党を下野させ、与党幹事長として権勢を振るいました。自民党にとっては、トラウマの下野、奪回はしたものの、小沢一郎に対しては恨み骨髄であり、畏怖の対象でした。反共産等、政党よりも、巨大な相手として反小沢という言葉が定着していたぐらいです。

 私は、政治や国会に、興味を持ち出した頃から同郷の野中広務さんと、その宿敵として小沢一郎に興味を持ち、関連本や記事も賛否両論よく読みました。

 一般には、民主党政権直前に、秘書が逮捕され代表辞任に至った一連の事件で、小沢に政治とカネの汚職のあった犯罪者に思われています。ただ、この捜索は結局不起訴、シロとなり小沢の権力を削ぐための国策捜査だったようです。政治資金規正法は小選挙区制等とともに、小沢自身が作ったもので、都合検察が3方向のつながりから執拗に捜索しながら、法律を破っていることは全く無かったのです。

 多くの司法関係者からは、いわゆるモリカケサクラをあそこまで検察がやれば、国葬うんぬんのあの方はとうに刑務所の中と言われています。

 では、小沢一郎はなぜ、総理、小泉純一郎や安倍晋三になれなかったか。

 最大は、外見、見栄えだと思いますが、それ言ったら全て終わりです。ただ長きに渡り国民の人気を得るには、イケメンというほどでなくとも、朴訥過ぎるのと、口下手で素人、一般大衆受けしないところは大きな欠点です。

 民主党政権陥落後は迷走し、山本太郎や共産党との共闘まで首を突っ込んだため、政策的なところで問題にする人もいますが、小沢一郎は元々自民党の保守政治家で、保守主義、愛国者です。それを、言い出すと民主党は社民党、自民党も社会党、今も公明党と選挙に勝つためには組んできています。

 民主党幹事長時代の大挙引き連れての訪問で中国寄りで左翼的に思われていますが、外交的にはアメリカに物申す保守です。親米保守に最も嫌われるのが、師田中角栄とともにここです。

 そして、剛腕、辣腕の割にどこか詰めの甘い人間的な優しさ、ずぼらさのような面があります。

 恩師田中角栄のムスメには、やはり少し甘く感傷的になったり、父親安倍晋太郎さんには、自民党時代涙が出るほど世話になり安倍晋三元首相には舌鋒鋭くはなれなかった。

 自分が自民党を出て、成長した思いも強く、自分の元を離れたいという政治家をあえて引き留めることをしなかった。

 そんな、甘さや、その優しさを言葉にできない口下手さが、結局はしたたかな後輩に追われ命取りになったように思います。

 そういう人間的な面を含め、私は一番興味のあった政治家です。

 

安倍長期政権の功罪  #アベノミクス

 凶弾に倒れた安倍晋三元総理に関しこの秋国葬という方向のようです。

 その業績、人物像を称賛される多くの層と、今回の背景の宗教団体とのつながりや、いわゆるモリカケサクラの問題まで取り上げけなす輩もいます。

 私は今週はじめのブログでお父様の安倍晋太郎さんの無念を晴らし、一度病で政権を投げ出す挫折を乗り越え最長内閣を記録した元総理の人物を評価しております。ご参照ください。

 統一教会との問題は、お祖父さんの岸元総理からのつながりであり、叔父佐藤元総理含めて強固な権力と政権基盤のためには、キレイ事だけでは済まないのが政治でしょう。安倍元総理の代で特にどうこうという話しではないと思います。地盤を引き継ぐ、いわゆる親や先代からカバンを引き継ぐのは「息子の晋三です親父同様よろしくお願いします」で始まるからこそ、世襲政治家が成り立つのです。山上容疑者の私怨が事実でも、逆恨みです。

 では、元総理時代のモリカケサクラはどうかということになります。

 森友問題は財務省で死者が出ていますが、元総理が主体的に関与したからというよりは、官僚の中の責任の押しつけあいの闇のようです。

 政治家で大物となり権力を持ち、まして長く総理大臣を続ければ、いろいろな輩がすり寄ってくるのは間違いありません。もちろん、お世話になった方も多く労う場面もあるでしょう。それを長期政権の弊害とすれば、それもそうなのです。では民主党政権やその前の自民党政権のように、海外からほぼ誰もわからないぐらいコロコロ総理が変わって一貫した政治が出来るのでしょうか。

「秘書の責任、秘書のチェックが甘い」というのを責任逃れと騒ぐ向きが多いです。しかし天下国家を考える政治家、総理大臣が、領収証のチェックなど毎月毎日細々やってたらそのことの方が心配です。

 総理の評価はやはり、政策です。民主党政権からデフレ脱却をはじめ世論に応えながら内外多くの課題に長く取りくみ続けたことこそが評価です。日本の抱える課題は多く全てをやりきったとも外交や経済にこれが正解というものはありえません。賛否はあれど、日本のために頑張られたエネルギーは凄まじいものでした。

 アベノミクスはたしかに功罪半ばとは思います。特に、カンフル剤的な【異次元】の金融緩和を長く続けるのは、安倍を冠しているアベノミクスとはいえ黒田日銀総裁がもう方向転換の時期です。残念ながら当初のデフレ脱却は実現しても、その後の賃金上昇、経済高成長にはつながらず国際的地位も下降、日本は置いてきぼりです。

 円安でも輸出が上手く回らず、コロナやウクライナの情勢含め、日本経済はかなり厳しい局面です。

 安倍さんの強い気持ちは引き継ぎながら、後を継ぐ人は、今後の政策は冷静に是々非々で、今後の日本の山積みの課題に臨んでいただきたい。それが国葬より何より安倍元総理への最大の弔いです。

マイナポータルで選挙も

 今回の参院選は入院していて投票にいけませんでした。公示からすぐに不在者投票に行っておれば可能なタイミングもあったのですが、体調も悪くなりかけた時、まさかの緊急入院でその後も10日以上かかるとは思わずの体たらくでした。

 長期入院や入所の場合は事前に手続きすれば不在者投票できる仕組みはありますが、私の場合は期間的に無理だったようです。

 引っ越し等でも、投票機会をなくしたり、忘れてしまうことがあります。

 ただ、今回私は思ったのですが、マイナンバーカードの普及のためにもマイナポータルを使った電子投票を進めればいいのではないでしょうか

 現在は選挙会場への入場にマイナンバーカードは証明として使えますがそれだけです。

 不在者投票が増えたといいますが、その会場も増えて運営にもお金がかかっています。

 まずは会場にいけない人が理由を打ち込んでネットで不在者投票できるようにすれば、事前の投票会場などいらなくなります。

 ゆくゆくは投票自体をネットに変えて行けば、運営経費の大いなる節約になります。ネット環境の無い人が役所に赴き投票するぐらいにすれば不在者投票行政の事務は激減します。法律の改正は必要ですが、国も自治体も財政が厳しい中、毎年紙代も人件費も上がる選挙管理の費用をゼロにして、他のことに回せるのです。

 行政は既得の枠の中の予算をなかなか横に回しにくい組織ですが、これだけ財政難の時しかもデジタル化が叫ばれる中、それこそデジタル庁トップが強権的に進めるのです。

 印刷や紙の業者、投票用紙を素早く集計する機器を卸してる業者はじめ、死活問題のところはあります。役場や区役所や町内会長などにも手当など選挙利権があり抵抗や反対は予想されます。

 しかし、そんなことに毎回毎回回してるお金、税金は足りないのです。橋や道路、トンネルの古いのはほっとくわけにはいかないし、お年寄りの病気や介護にもっと費用がかかります。何か節約できるものがあれば、ズバッと切らないとどうにもなりません。

 もちろん、マイナンバーカードで住民票はじめ申請できることは増えましたが、そもそもそれ自体がマイナポータルででき紙がいらなくなることは多いはずです。

元首相は暗殺か?ミステリ的考察 #違和感#暗殺

 ただの一ミステリファンとしての考察で、いろいろ陰謀論含めネットには上がります。まあ真偽は誰もこの時点で確かめようもありません。

 普通にミステリの論理的思考と、リアリティの出来栄えとして見て、今回の元首相狙撃には拭い難い違和感を覚えます。

 ひらたく言えば今回の事件は「たまたまうまくいった」が多すぎるのです。結果背景に組織などがなく政治も思想もない一個人の私怨が動機、これではは海外では暗殺と報じられているのに、ただの殺人です。民主主義や言論の自由への暴挙と大きく報じるものでもありません。

 ミステリ小説の殺人事件では、

 「たまたま」 これは横溝正史などの本格、その後の新本格で、 いろいろな自然現象、偶発的なタイミングが重なり、犯人らが事件をおどろおどろしい伝奇や見立てに利用するケース1があります。

 ケース2は、逆に「たまたま」衝動的な犯罪など、すぐに犯人も捕まったり、自殺や事故であっさり

事件解決するが、実はウラに緻密な真犯人や組織がいる場合。解決はフェイクで犯人がいても、フェイクやスケープゴートとされます。

 今回、山上容疑者には母が宗教団体のトラブルとは上がっています。しかし、犯行は武器の製造から被害者の狙撃まで全く一人でとされています。今の日本で、あれほどの大物の政治家をイチ個人がいとも簡単にピンポイントで殺せたのかというところの、オポチュニティ(機会)とリアリティです。

 爆弾や銃器の専門家は今も昔も個人で製造も狙撃も可能、要人警護の専門家はこういう抜け穴があって狙撃されたとは語られます。多くの方は専門家が可能性ありと言うとそういうものかと思われるでしょう。もちろん私は専門家ではありませんが、小さいオポチュニティ(機会)がありプロバビリティ(可能性)はあっても、それは現実には小さなすぎ「たまたま」が多すぎリアリティがないのです。

 岡山で犯人は一度試し撃ちはしたと言われていますが、犯人は人を撃つのは全く始めてです。それで他は傷つけず上手くいった。それが歴代最長の安倍晋三元総理ということです。これでは劇画の世界で、失敗したことのない超一流のスナイパーが雇われて殺ったという方がまだリアリティがあります。

 やはり、ケース2の凡庸は犯人に見せかけて、裏には緻密で組織立った犯人がいると見るのが妥当と思います。

 実際、最初のテレビで見た奈良の病院の発表では銃創は首に2箇所、胸に向かって貫通しているとされました。これには違和感がありました。壇上の高い位置にいる安倍さんに背後から撃って何故首から胸側に弾丸がいくのか?その後何故か、司法解剖後の発表は腕からの銃創とされました。いろいろ専門家が、散弾はいろんな角度に飛ぶ可能性とかSPのカバンに当たって跳ねた傷かもとかウンチクで擁護されてます。可能性はあってもごく小さいように思います。

 容疑者の最初の発砲(たぶん音と煙が目的)後、警備SP=真犯人が射殺もしくは、近くのビルからの狙撃。大きな背後、組織がある可能性の方が大きく思います。

 安倍晋三元総理の業績を称賛する人も、一部非難する人も、考えても見てください。戦後爆弾や銃器の製造マニュアルぐらいはずっと出回っていましたが大物政治家の見事な暗殺など一度も未遂含めてなかったのです。今回それほどの偉大な人物が、いとも簡単に一個人に殺されるはずがないのです。

 ミステリ的考察で、おそらく真実など深い闇の中で確かめようもないでしょう。